まず最初に前提をはっきりさせておきます。
埼玉の中でも、浦和駅や大宮駅の駅前一等地は今回の話から除きます。
あの辺りは70㎡で1億円超えも当たり前。もはや“ほぼ東京”です。
今回お伝えしたいのは、そうした一等地以外の、典型的な郊外埼玉で暮らしてみた体験談です。
家を買うとき、「背伸びする東京」か「手堅く埼玉」か
当時、東京に住んでいた30代の私は、都内で住宅購入を真剣に考えていました。
近隣の相場は、70〜80㎡のマンションで7,000〜8,000万円。共働きということもあり、ローンを組めば十分に買える予算感でした。
でも──
私は**FIRE(経済的自立と早期リタイア)**を目指していたこともあり、「住居費にそこまでお金をかけてしまっていいのか?」と、どうしても踏み切れませんでした。
悩みに悩んだ末に出した結論は、**「価格重視で郊外へ移る」**という選択。
結果、埼玉で以下のような物件を約5千万円で購入しました。
- 新築戸建(注文住宅で高性能)
- 広い駐車場つき
- 子ども部屋も確保できるゆとりの間取り
- 価格は都内のおよそ7割
数字だけ見れば、とても合理的な判断だったと思います。
でもその“合理性”が、後からじわじわと後悔に変わっていくとは──
このときはまだ、想像もしていませんでした。
でも、数年住んでみて思うんです。
「たしかに家は安く買えた。でも、“暮らしの質”は高くなかった」
人生トータルで見ると、「損だったかもしれない」と思うようになりました。
資産価値:2,000万円得したつもりが、3,000万円損していた現実
東京で買うと7,000万円はするような家を、埼玉で5,000万円で購入。
「2,000万円も住居費が浮いた」と、当時は最善の決断ができたと思った。
でも──
- 都内の似た物件は、コロナ後のインフレで価格が高騰
- 含み益は2,000〜3,000万円出ているケースも
- 一方の我が家は、せいぜい数百万円程度の微増
「あのとき、東京で買っていたら…」
そんな後悔が、ふとした瞬間に胸をよぎります。
教育環境:「のびのび育てたい」が「不安だらけの子育て」に
埼玉に引っ越すときは、自然が多くて子育てに良さそうだと思っていました。
でも、現実は甘くなかった。
- 近所の小学校に、警察沙汰になる子がちらほら
- 公園が少ない。遊具は古くてボロボロ
- 学校も古く、設備は都内とは大違い
「子どもが変な友達とつるまないか心配で…」
そんな話が夫婦の会話の中心になるなんて、思いもしませんでした。
人間関係:たった一言「会話が合わない」が、毎日のモヤモヤに
これは正直、想定外でした。
東京にいた頃は、同じ大学や業界のパパ友・ママ友が自然にできて、会話も弾んで楽しかったんです。
でも今は──
- 高卒の方が多く、仕事や教育の価値観がまるで違う
- 妻も「ママ友と話が合わない」と日々ストレス
住んでいる家がどんなに快適でも、会話の通じない孤独感は想像以上にきつかった。
生活コスト:駐車場無料でも、家計はじわじわ苦しくなった
「郊外=生活費が安い」は、幻想でした。
- 車は一人一台ないと生活が成り立たない
- ガソリン代・維持費・保険料が常に出ていく
- 駅までバスor車で送迎。時間もお金もロス
- 行政サービスが薄い(補助金や教育の質)
- 外食はチェーンばかり。選択肢が少なく楽しめない
「都内と同じくらい税金払ってるのに、受けられる行政サービスは下」
この不公平感が、ボディブローのようにじわじわ効いてきます。
周囲の反応:「埼玉か…まあ、東京に近いよね?」の温度差
東京に住んでいたときは、「世田谷なんだ〜いいところだよね」と素直に言われました。
でも今は──
「あ、埼玉なんだ……でも東京までは近いよね?」
どこか**“ちょっと残念だけどフォローしておく”**という空気が混ざる。
勝手に気にしてるだけかもしれません。でも、何度も言われると効きます。
【まとめ】家は「価格」じゃなく、「暮らし全体のコスト」で考えるべきだった
安く買えた家。
でも、失ったものは、お金では買い戻せませんでした。
- 教育環境の差
- 人間関係のストレス
- 資産価値の低さ
- 生活コストの落とし穴
- 行政サービスの違い
もちろん、埼玉にも良いエリアはあるし、向いている人もたくさんいると思います。
ただ、「東京しか知らない人」が広さや価格だけを見て移住するのは、本当に慎重になってほしい。
家を買うことは、単なる「住む場所」を選ぶ行為ではありません。
どんな人と、どんな暮らしをし、どんな人生を送りたいのか──
それを選ぶ行為なんだと、今は心から思います。