「それって見栄じゃない?」
「贅沢しすぎじゃない?」
──たしかに、そうかもしれない。
でも、私はずっと、ずっと我慢してきた。
■ ボロアパートと、呼べなかった友達
- 幼少期、我が家はお金がなかった。
- 住んでいたのは狭くて古いアパート。壁も薄く、声も音も筒抜け。
- 恥ずかしくて、友達を家に呼ぶことは一度もなかった。
■ 中学生になっても、“持たざる者”だった
- 周りの友達は、流行の洋服やアクセサリーを身に着けていた。
- 数千円のネックレスですら、私にとっては手が届かない贅沢。
- 正直、うらやましかった。でも、笑ってごまかしていた。
■ 違う世界を見て、悔しかった
- 友達の家に遊びに行ったときの衝撃は、今でも覚えている。
- 広くてきれいなマンション。玄関には大きなレゴの模型。
- 「こんな家で暮らせる人がいるんだ」と、言葉を失った。
■ 海外旅行なんて夢のまた夢
- テレビで見るリゾート地や、飛行機での旅行。
- そんなのは物語の中の話で、自分には関係ないと思っていた。
- 家族旅行ですら、年に一度行けるかどうかだった。
■ 節約は当たり前。だけど、それは“生き抜くため”だった
- 幼いころから染みついた「お金を大事にする」感覚。
- シャンプーはワンプッシュの8割で止めるクセ。
- 飲み物は自販機で買わず、水筒を持参。マックでも飲み物は頼まず「水で」。
- 無駄遣いなんて、恐ろしくてできなかった。
■ 心のどこかで、こう誓っていた
「絶対に、金持ちになってやる」
- 欲しいものが買えないのが、ずっと悔しかった。
- お金のせいで諦めたことが多すぎた。
- 子どもながらに、強く強く思った。**「いつか、欲しいものを我慢せず手に取れる自分になる」**と。
■ でも、大人になってもその“我慢グセ”は消えなかった
- 社会人になって収入が増えても、私はお金を使えなかった。
- 洋服も家電も、つい「安い方」で妥協。
- 心のどこかで、**「贅沢=悪いこと」**だと思い込んでいた。
そんな私に、ある日妻が言った。
「あなた、いつも“自分にはこれで十分”って顔してるよね」
──その言葉が、胸に突き刺さった。
“いらない”んじゃない。
“浪費してまた貧乏に戻ってしまう”のが怖かっただけ。
■ 「浪費じゃない」。“価値がある”と信じたものだけを選ぶ
私は今、ようやく「欲しい」と言えるようになった。
でもそれは、無意味に散財することとは違う。
- 時計を買うなら、資産価値がある一本を。
- 家を買うなら、立地と構造を考えて「価値が落ちにくい」ものを。
- ブランド品も、質がよく長く使えるものを選ぶ。
“欲しい”に素直になることと、“賢く選ぶこと”は両立できる。
■ 今では、無駄な買い物が減った
- 安さだけで選んでたモノが、いつの間にか不要になっていた。
- 欲しいものを妥協せず選ぶことで、満足感が得られた。
- 「本当に必要なモノ」だけが、手元に残るようになった。
■ 最後に:コンプレックスを癒せるのは、「今の自分」しかいない
- 幼いころ感じた劣等感や引け目──
あのときの「欲しい」と言えなかった気持ち、
我慢ばかりしていた日々は、
誰かに笑われるようなことじゃない。
でも、それを癒せるのは、
他の誰かじゃなくて、**“今の自分”**だけだ。
- 広くて清潔な家で過ごし、
- 大切に選んだモノに囲まれて暮らし、
- 胸を張って「これが好き」「これが欲しかった」と言えるようになった今、
ふと、昔の自分の顔が浮かぶ。
「よくここまでがんばったな」
そう思えるだけで、少しだけ心があたたかくなる。
“欲しいものを手に取る”って、ただの買い物じゃない。
それは、
過去の自分を救い、未来の自分を信じること。
そして同時に、
幼い頃に抱えたコンプレックスを、自分の手でそっと癒してあげること。
それが、
本当の意味で“幸せになる一歩”なんだと思う。